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クズ量産機

高校時代の友人が、「あなたは当時から達観していた」と言っていた。

高校生で達観してる奴とか嫌すぎるな。

どちらにせよ昔の話だ。

過去に縋るのは、あんまりかっこいいことではないらしい。

今クズみたいな人生を送る人にとって、縋るものは過去しかないのだろう。

私には縋るような過去なんて特にないけれど。

 

どの時代においても、人望がなかった。

集団行動が苦手で、学校や先生と上手くやれなかったな。

私は私を嫌いではないが、本当にどうしようもないやつだなと思っているよ。

 

どうしようもないやつに、期待なんてできない。

それ故に、裏切られたと思うことがない。

イライラしたりストレスを溜めることがあっても、最後には「所詮そんなものだ」と思っている。

母との関係でそう思うようになったのかもしれない。

わからんけど。

 

悲しみや絶望は、期待への裏返しだ。

私は私に対して何も期待していない。

嫌われても失敗しても。

「どうしようもない自分のすることだ。まあいいや」

 

自分に期待するのも大概にした方がいい。

高い理想が自分を殺すなら、諦めてしまえ。

他人に期待するのも大概にした方がいい。

世界には「どうしようもない自分」しか、存在しないのだ。

 

どうしようもない世界で、どうしようもない我々は生きる。

今日もまた、クズみたいな栄光を積み上げる作業を始めよう。

諦めて所属してしまおうか

所属欲求について考えた。

考えてみれば、メンヘラは所属欲求を満たしていない人が多い。

 

被虐待児は生まれた時から

セクマイは物心ついた時から

イジメ被害者は集団生活が始まった時から

所属できない不安と戦っている。

 

かくいう自分もその一人だ。

 

自分が所属しているはずの団体ですら、

自分がいなくても成り立つようにしか関われない。

そしてたまに強大な不安に捕まるのだ。

ああ、寂しいね。

 

自分以外が揃っているライングループが存在したとしても、

きっと傷つくことすらないだろう。

「ああ、やっぱり」って笑う。

壊れてるんだろうね。

 

「一人が楽」

そう言われた時、寂しくなった。

きっと自分もそういう思いを誰かにさせているんだろう。

「あなたがいるのに、寂しいなんて思ってごめんなさい」

だからといって何を言ったら良いのかわからないね。

 

きっとあなたが思うよりも、私はあなたが好きだ。

私が思うよりも、あなたは私が好きだ。

だから、もう諦めてしまおうかな。

ここに所属しようか?

 

夏にご飯を食べに行こう。

こちらは諦めないでいようね。

褒める

パソコンのマザボがいかれてしまったようだ。

修理は終わったので月曜日に受け取れる。

やはりないと不便。

 

 

嘘が苦手だ。

そりゃそうだ、私は科学者だ。

賞賛やお世辞に含まれる、多少の嘘が許せないまま生きている。

嘘はないに越したことがない。

人類皆不完全。

そんなに褒めるポイントなんてない。

嘘で薄めた真実は、味がしない。

きっと自分は濃い味が好き。

お世辞ばかり言う人の言葉は、価値が低い。

 

玉虫色の人間も嫌いだ。

自己矛盾は一番ダメだ。

嘘をつくということは、なんであれ、相手を軽んじるということだ。

自分を大切にしてほしい。

自分に嘘だけはつかない方がいい。

 

八方美人にはなれない。

外面がよく、誰にでも愛想の良い人間は信用できない。

母がそういう人だからだろう。

けっきょくのところ、嘘でしか他人の気を引けない。

嘘なんてつかずに、ただ「好きだよ」って伝えればいいだけの話なのにね。

それも嘘か。

 

お世辞と褒め言葉は違う。
褒めは魔法の言葉。
そんな本を見かけた。
長蛇の列を見て、レジに並ぶのをやめたが、家に帰ると買うか迷うな。

嘘をつかず、自己矛盾なく、人を褒められるようになりたいね。

祝われるのが苦手

パソコンが壊れてしまったので、あまりブログを書く気になれない。

あとは単純にお仕事が忙しかった。

今月は飲み会もいくつか入っているし、無理しないで頑張る。

 

お祝いの言葉を受け止めるのが苦手だ。

祝われたいポイントが、一般とズレているようだ。

誕生日や卒業や結婚や出産、人生で祝われるタイミングは度々やってくる。

その度に、「特にめでたくもないな」と思う。

 

「これからの一年」「新しい生活」

そんな曖昧な敵を、祝ってやる気になれない。

これから戦う強大な敵を相手に、うんざりしているところだ。

「これまでの一年」「これまでの生活」

なんとか折り合いをつけてきた日々の、達成の印として祝われるのであれば、祝われるのも悪くないなと思う。

 

一方で、人を祝うのは好きだ。

好きな人の努力に対して、

「お前はよくやった」と相手に伝える良い機会だ。

 

つまり、こちらは祝いたいが、特に祝われたくはないのだ。

 

けっきょく、人は祝いたい気持ちを相手に押し付けるだけなんだろう。

それにどう付き合えばよいのかわからないのだ。

せめてプレゼントでも貰えば、金品に対する感謝の心が芽生えるので、何かください。

対して、捻くれ者の私は、曖昧な作り笑顔で「ありがとう」と言うのだろう。

本当に付き合いにくい人間だ。

 

強大な敵を倒す1日がはじまる。

金曜日だから敵は雑魚だ。

消化試合をやり過ごす。

頑張ろう。

存在価値

自分の存在価値がわからない。

これは「私なんて生きている価値ない…」という類の話とは少し違う。

他人にとっての自分の価値が全く理解できないのだ。

 

「あなたがいないと寂しい」と言わた時に、なんと答えればよいのだろう?

他人の感情の責任を私が負わなければいけない理由がわからない。

相手がどう思おうと、それは相手の感情だ。

私には無関係なはずだ。

 

「いないと寂しい」期限もよくわからない。

来週なら寂しくならないのだろうか。

いつまで待てば良いのだろうか。

不思議だ。

 

母も「あなたがいなくて寂しかった」と言っていた。

きっと同じだ。

その言葉にはなんの意味もない。

私を縛り付けて良い理由には「足りない」。

 

自分に価値を見いだせないので、

他人に嫌われることが怖くない。

同時に、他人に好かれることに対してもあまり執着心がない。

きっと私はふらっと別の場所へ行くだろう。

飽きっぽくて困るね。

人生は暇つぶしだ。

 

愛されようが憎まれようが、大した問題ではない。

どちらの価値も自分にはない。

何を言われても響かない。

私にとって大切なのは、自分が誰を好きかということだけだ。

 

自分をちゃんと愛せない人間にとって、他人とちゃんと繋がるなんて不可能だ。

仕方がないから、一方的に、独りよがりに誰かを愛する。

「一生誰にも愛されない」

呪いは解けそうにもないな。

条件付き

寝てる私が、書き終わる前のblogを公開してた。

やめろ。

最後の方を書き直しました。

 

 

綺麗事を信じられるほど幸せな人生を歩いていないなと思った。

 

留学先で、ホームシックになって泣いていた女の子が言ってた。

「誰か無条件に自分を愛してくれる人が必要」って。

私は条件付きの愛情しか知らないな。

 

とても不安定だ。

しんどくて薬を飲みたくなる。

抗不安剤は麻薬だ。

しんどくてすがりつきたくなる。

すがりつきたい相手がお母さんだから救えない。

諦めたくても、一生諦めきれないんだろうな。

家族も麻薬だ。

 

必ず自分を愛してくれる人などいない。

永遠の愛などない。

それがどうした。

全人類に嫌われたとしても生きるから大丈夫だ。


「必ず自分を受け入れて愛してくれる誰か」なんて存在しない。

同時に、「自分の全てを憎んでくれる誰か」も存在しない。
人は自分のことで精一杯だ。

他人のことなどどうでも良いのだ。

 

無条件に愛してくれる誰かを探しても、そこに救いはない。

そんなことをできるのは、一部の親と、自分自身だけだ。

 

幸せなことに、生まれた時から愛されているのなら、

残りの人生のオプションでしかないんだろうな。

 

私は何も持ち合わせないので、空っぽのまま生きていきます。

 

常識

世の中には、見えない常識やルールがたくさん存在する。
規則があればそれを取り締まる人間がいる。
正義感に溢れた「常識的な人間」は、とてもルールに厳しい。
明文化されていない法律を振りかざして、集団を淘汰する。
そうやって平和な集団を維持するのが社会だ。

一方、規則を守らない人間は必ず一定数存在する。
身体的・精神的に規則を守ることが困難な人。
選択的に規則を守らない生き方を選ぶ人。
規則の「雰囲気」を一切感知できない人。

元来自分は、見えない社会ルールを一切関知しない人間だった。
一方で、感知していたとしても、やはり規則を守らずに生きてきた。
見えないものを拒絶し、ぼんやりとした束縛を良しとせず、
正論をぶつけて、自分を自由にしてきた。
感情的かつ論理的に屁理屈をこねる、厄介な人間だ。

 

全部自分で選びたい我儘な人間だ。
「普通」や「みんな」を一切信用していなかった。
「多くの人が良しとすることの中には外れが少ない」ということが理解できなかった。
今ではわりと「価格コムや食べログは便利だ」とわかっているから、

かなり社会に適応してきたなと思う。

 

全ての見えないルールをないがしろにして生きてきたからこそ、
逆に誰にも虐げられることがなかったのだろうと思う。
中途半端に一部を拒絶すると、取締班に捕まってしまう。


「どうしてそんなルールが存在するのか」
そんなこと、誰も知らない。
私はそこを突いて、常識がないまま生きてきた。

 

最近「あなたが間違っている」とはっきり言われた。
他人とのいざこざを起こした自分を見た第三者の言葉だ。
自分の言動に共感した上で、この結論に行き着いたようだった。
つまり、彼は「それは駄目なことだ」と他人から言われてきたのだと思う。
私の勝手な想像だが、
「自分が禁止されたルールを破っている私は、
過去の彼と同様に間違っているに違いない」
という理屈なのだろう。

 

ところが私はそんな自分の過ちを正して反省することなく、のうのうと暮らしている。

私は誰かを傷つけたかもしれないが、なんと、誰も殺していないからだ。
自分にとっては、他人から与えられる正義も正誤も無意味だ。
私は犯罪を犯していない。
法的に悪いことをしていない私は、そんなに間違えてはいない。

傷つけた人には悪いが、「ごめんぴょん🐰」くらいの反省しか持ち合わせていない。
私は彼が押し付けたがった常識を見なかったことにした。

 

こういう風に、私は屁理屈をこねて、
自分を動けなくするわけのわからない常識から逃げ、自由に生きてきた。
私は他人と同じことができない人間だ。
だから、人に合わせられないし、そうできる人ってすごいと思う。
自分にとって人に合わせることは無価値だ。

そんな無意味なことを続けられる人って、偉大だと思う。

 

人に合わせることに固執する必要はない。
個々が自分の意見を持つべきだ。
集団に流され、多様性を失った社会は、
我々のような異端者を受け入れてくれないだろう。
受け皿が欲しくてここに来たのなら、
多少のルール違反も大目に見るべきだ。

 

私は誰のこともそれほど嫌いではない。
めんどくさい人はブロックしているが、殆どの人は「普通」だ。
自分の受け皿になってくれる人がいると自覚しているから、
他人のことも完全に拒絶することはない。
意見の押しつけやいじめには賛成しかねるが、
だからといってそれをした人間に憎しみを募らせることもない。
人は弱いから仕方がないと思うだけだ。

 

人に嫌われることが怖くない分、きっと自分は強いのだろう。