祝福

機能不全家族の一部として生きてきた人間は、
ともすれば心の痛みに鈍感だ。
背中に刺さった包丁は、自分の視界には入らない。
例え、傷口から血しぶきをあげていても。
出血多量で死にかけていても。

 

家族と離れてはじめて、
自分の精神を壊したのは自身の母親だと悟った。
怒りや悲しみが一通り自分の中を循環し、
それでもなんとか折り合いをつけた頃、
母親と話し合う覚悟を決めた。


彼女には知る権利があると考えたのだ。

確かに自分は辛い思いをしてきた。
だが、一度だって悲鳴をあげたことがなかった。
彼女にちゃんと「痛かった」と伝えなければいけない。
きっと彼女は知らなかっただけだ。
そう思いたかった。

 

さて、事の顛末を端的にまとめる。
期待とは裏腹に、彼女は全てを拒絶した。

「遺伝的な要因で双極性障害を患った子供が、
被害妄想で事実無根の話を持ち出して母親をなじった」
というのが、彼女にとっての事実だ。


彼女は「いつでも自分の子供を愛していた」と泣いた。
それだって、事実だ。
知ってる。

 

痛みを感じた時に悲しまないと、
悲しみを忘れることができない。
痛みを感じた時に怒らないと、
怒りをぶつける対象を失う。


今の彼女は、自分の子供を無自覚に傷つけていた過去の彼女ではない。
責め立てた所でどうしようもないのだ。


悪いのはこちらだ。
彼女は、自分の過去の過ちに向き合う必要などなかったのだ。

 

やり場のない感情を持て余し、妄執に追い立てられ、
我々は日々をやり過ごす。
また今年も、彼女を泣かせ、家族を諦めた日が来る。


あの日、彼女は子供の誕生日を祝うはずだった。
確かに彼女は、私を愛していたのだ。
やりきれない明日をこれからやり過ごす。

 

 

Happy birthday to me!

呪い

今でこそ、自称天才美少女だが、親からの評価は正反対だった。

「馬鹿で不細工で誰にも愛されない社会不適応者」

それが幼少時に母からかけられた呪いの言葉だ。

 

残念ながら、誰もが郷里を愛しているわけではない。

牢獄に留まるよりも、片手一杯の薬を飲み、3時間睡眠でフラフラしながら仕事をする生活の方がはるかに幸せだ。

 

「容姿端麗で知性に溢れた自分は、きちんと社会で生きている」

これが自分で自身にかけた呪いだ。

他人の呪いなど2度と受けない。

褒めがいがなくてすまんな。

 

残念ながら、「誰にも愛されない」に関しては、呪いが解ける気配がない。

おかげで誰かに嫌われる恐怖を味わったことがない。

いつか解き放たれる時が来るのかもしれないが、別にこのままでも良いかな。

 

今、自分はわりと幸せだ。