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統合

使う言語によって、自分の人格が変わっているように感じる人は多いそうだ。
自分も、英語と日本語を喋る際の人格が全く異なるように感じる。
特に、自分の場合は、日本語のみ喋る期間と、英語のみを喋る期間が混在しない。
時間や空間を言語と紐付けてしまっている。
日本語を喋る主人格は、高校卒業と同時に時間を止めてしまった。

 

口語として英語を喋っていた期間、つまり、海外在住の間、
自分は日本語を使っていなかったわけではない。
SNSなど、インターネットを通じた日本との交流は、日本語で行っていた。
ACや双極性障害、それにともなう社会不安障害人格障害のはけ口は、
全てインターネットの向こう側にぶちまけていた。
自分のメンヘラ活動は、全て日本語の文字列を書き起こすことで行われていた。

 

自分は3つにわかれてしまった。
新しい人格が目覚めたとか、そんな中二病な話をしているわけではない。
手段としての言語が、特定の情報と強く結びついてしまっていて、
他の手段を用いて伝えることが難しくなってしまったというだけだ。
「英語を喋ること」、「日本語を喋ること」、「日本語を書くこと」
こいつらがなかなか統合しないのだ。

 

三分割された自分を上手く表現できない。

どの自分に対して、何を言われても違和感がある。

自分にも本当の自分(笑)なんてわからない。


そもそも、人間という不確定な生き物を理解するなんて、無駄なことなのかもしれないな。
定義されていない事象は、そういうものと受け流せばいい。
与えられたものは受け入れるだけだ。


きっと自分は持ちすぎている。

たくさん与えられている自分は幸せなんだろう。