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常識

世の中には、見えない常識やルールがたくさん存在する。
規則があればそれを取り締まる人間がいる。
正義感に溢れた「常識的な人間」は、とてもルールに厳しい。
明文化されていない法律を振りかざして、集団を淘汰する。
そうやって平和な集団を維持するのが社会だ。

一方、規則を守らない人間は必ず一定数存在する。
身体的・精神的に規則を守ることが困難な人。
選択的に規則を守らない生き方を選ぶ人。
規則の「雰囲気」を一切感知できない人。

元来自分は、見えない社会ルールを一切関知しない人間だった。
一方で、感知していたとしても、やはり規則を守らずに生きてきた。
見えないものを拒絶し、ぼんやりとした束縛を良しとせず、
正論をぶつけて、自分を自由にしてきた。
感情的かつ論理的に屁理屈をこねる、厄介な人間だ。

 

全部自分で選びたい我儘な人間だ。
「普通」や「みんな」を一切信用していなかった。
「多くの人が良しとすることの中には外れが少ない」ということが理解できなかった。
今ではわりと「価格コムや食べログは便利だ」とわかっているから、

かなり社会に適応してきたなと思う。

 

全ての見えないルールをないがしろにして生きてきたからこそ、
逆に誰にも虐げられることがなかったのだろうと思う。
中途半端に一部を拒絶すると、取締班に捕まってしまう。


「どうしてそんなルールが存在するのか」
そんなこと、誰も知らない。
私はそこを突いて、常識がないまま生きてきた。

 

最近「あなたが間違っている」とはっきり言われた。
他人とのいざこざを起こした自分を見た第三者の言葉だ。
自分の言動に共感した上で、この結論に行き着いたようだった。
つまり、彼は「それは駄目なことだ」と他人から言われてきたのだと思う。
私の勝手な想像だが、
「自分が禁止されたルールを破っている私は、
過去の彼と同様に間違っているに違いない」
という理屈なのだろう。

 

ところが私はそんな自分の過ちを正して反省することなく、のうのうと暮らしている。

私は誰かを傷つけたかもしれないが、なんと、誰も殺していないからだ。
自分にとっては、他人から与えられる正義も正誤も無意味だ。
私は犯罪を犯していない。
法的に悪いことをしていない私は、そんなに間違えてはいない。

傷つけた人には悪いが、「ごめんぴょん🐰」くらいの反省しか持ち合わせていない。
私は彼が押し付けたがった常識を見なかったことにした。

 

こういう風に、私は屁理屈をこねて、
自分を動けなくするわけのわからない常識から逃げ、自由に生きてきた。
私は他人と同じことができない人間だ。
だから、人に合わせられないし、そうできる人ってすごいと思う。
自分にとって人に合わせることは無価値だ。

そんな無意味なことを続けられる人って、偉大だと思う。

 

人に合わせることに固執する必要はない。
個々が自分の意見を持つべきだ。
集団に流され、多様性を失った社会は、
我々のような異端者を受け入れてくれないだろう。
受け皿が欲しくてここに来たのなら、
多少のルール違反も大目に見るべきだ。

 

私は誰のこともそれほど嫌いではない。
めんどくさい人はブロックしているが、殆どの人は「普通」だ。
自分の受け皿になってくれる人がいると自覚しているから、
他人のことも完全に拒絶することはない。
意見の押しつけやいじめには賛成しかねるが、
だからといってそれをした人間に憎しみを募らせることもない。
人は弱いから仕方がないと思うだけだ。

 

人に嫌われることが怖くない分、きっと自分は強いのだろう。