コンプレックス死

「お前のこと、そんな簡単に嫌いになんてならねーよ」

そう思ってる。

相手にそう思われている自信は持てない。

 

自分はとても感情的だ。

双極性障害は感情をコントロールできない病気らしい。

寛解しているが、完治したわけではない。

社会になんとか適応しているだけだ。

会社で何度も泣いているし、怒ってる。

それでも許してもらえるのは、人に恵まれているのと、

周り中(隠れ)メンヘラが多い職場だからだろう。

 

挨拶さえままならない人。

何度もミスして書類を再提出する人。

会議の時間を必ず忘れる人。

鬱で休職していた人。

パニック障害の人。

そんな人たちと仕事をしている。

きっと彼らは、研究職しかできない。

私より重症だ。

 

「もう少し感情を抑えられたら、きっともっと仕事ができるのに」

「冷静になれないのは本当に勿体無い」

これが私を殺す言葉だ。

感情的になる自分を憎み、自己嫌悪し、諦め、今の自分がいる。

「ヒステリーを肯定している」は、正しい。

そうせずに生きることができない。

自分の命と天秤にかけて、諦めて生きることを選んだだけだ。

コンプレックスは人を殺す。

諦めていなければ、自己嫌悪で自殺していただろう。

 

ブログを書き始めたのは、そんな「ヒステリーを肯定している」自分を、

わりと受け入れてくれる人がいたから、

人ともう少し関わっても良いかなと考えたからだ。

死にたいくらいのコンプレックスを曝け出して、それでも「なんだそんなことか」と言ってくれる人がいる。

ありがたいことだね。

 

2度としたくないと毎回のように思うが、

きっとまた制御できないあいつが出てくる。

あいつはでしゃばりだからな。

まあ、いいや。

受け入れてくれる人が1人でもいるなら。

 

どうせ、1人も受け入れてくれなくても、諦めて開き直って生きていくのだ。

もう死因がコンプレックスになることはないだろう。

 

「お前のこと、そんな簡単に嫌いになんてならねーよ」

まずは自分自身を嫌いにならないようにしないとな。

精進します。

愛情

痛みを「知ったかぶり」した成功者には、耳を貸さなくていい。
戦う前から負けている人間に対して、
正論を武器に、勝負を挑まないでくれ。

勝手に成功していればよいのです。

あなたの幸せを心から願っています。

 

精神疾患を患い、回復した人が、
患者に対して厳しい態度を見せることがある。
彼らは、「不幸な病人」というステータスを簡単に捨て、
「病気を抱えながらも、苦難を乗り越えた」という、
輝かしいステータスを手にしている。
そして、そのステータスで元仲間達を殴るのだ。
病人にマウンティングして、
「お前らがここまで上がってこないのは努力が足りない」と。

 

「頑張ったら報われる」
「運が悪かっただけ」
そんな言葉で納得して、また頑張れるほど、
HPが残っていない人はたくさんいる。
瀕死・毒・呪い・混乱・石化状態。
あと一歩動けば死ぬ。
顔が紫で体がまだら模様だ。
毒消し草だけもらった所で、事態は好転しない。
「あと一歩で町に入るから、宿屋で回復しよう」と言われても、
右足が毒の沼に嵌っていて抜けないのだ。

 

他人の感情や記憶を自分の所有物にしてはいけない。
他人の不幸を一大イベントにしてはいけない。
確かに、悲しんでいる人を見ると、共感で暗い気持ちになる。
自分にも何かできるのではないかと、相手を助けたくなる。
心配でいろいろ言いたくもなるだろう。

確かにそれは善意だ。

だが、善意や正義を求めていない人だって存在するのだ。

それがわからないなら、わかるまでROMってろ。


けっきょく、我々には何もできない。
顔が紫の人間を捕まえて、
「相手に何かしてあげている自分」に酔いしれるのはやめてくれ。

我々の痛みや不幸は、我々のものだ。
わかったような気持ちになって、ご高説を垂れるのはNG🙅🙅‍♂️🙅🙅‍♂️


知らない人のために言っておくと、
人間の脳みそはUSBケーブルで互いにつながっているわけではない。

衝撃の事実かもしれないが、人間は同期できない。

 

顔が紫で体中がまだら模様、なんなら少し異臭を放つ闇属性。
「石化なら経験済みだからアドバイスできる」って言われても、だめなんだよね。


私には、あなたの痛みや苦しみを、完全に理解することなんてできません。
残念ながら、あなたにあげられるものも、そんなに持ち合わせていません。
「それでも、一緒に考えることはできるんじゃないかな」と思いあがって、

少しだけ話をさせてください。

 

とりあえず文通から始めませんか?
ラインの方が良いなら、ドラクエ派かFF派か教えてね。
ステータス異常のスタンプ買っておくね。

祝福

機能不全家族の一部として生きてきた人間は、
ともすれば心の痛みに鈍感だ。
背中に刺さった包丁は、自分の視界には入らない。
例え、傷口から血しぶきをあげていても。
出血多量で死にかけていても。

 

家族と離れてはじめて、
自分の精神を壊したのは自身の母親だと悟った。
怒りや悲しみが一通り自分の中を循環し、
それでもなんとか折り合いをつけた頃、
母親と話し合う覚悟を決めた。


彼女には知る権利があると考えたのだ。

確かに自分は辛い思いをしてきた。
だが、一度だって悲鳴をあげたことがなかった。
彼女にちゃんと「痛かった」と伝えなければいけない。
きっと彼女は知らなかっただけだ。
そう思いたかった。

 

さて、事の顛末を端的にまとめる。
期待とは裏腹に、彼女は全てを拒絶した。

「遺伝的な要因で双極性障害を患った子供が、
被害妄想で事実無根の話を持ち出して母親をなじった」
というのが、彼女にとっての事実だ。


彼女は「いつでも自分の子供を愛していた」と泣いた。
それだって、事実だ。
知ってる。

 

痛みを感じた時に悲しまないと、
悲しみを忘れることができない。
痛みを感じた時に怒らないと、
怒りをぶつける対象を失う。


今の彼女は、自分の子供を無自覚に傷つけていた過去の彼女ではない。
責め立てた所でどうしようもないのだ。


悪いのはこちらだ。
彼女は、自分の過去の過ちに向き合う必要などなかったのだ。

 

やり場のない感情を持て余し、妄執に追い立てられ、
我々は日々をやり過ごす。
また今年も、彼女を泣かせ、家族を諦めた日が来る。


あの日、彼女は子供の誕生日を祝うはずだった。
確かに彼女は、私を愛していたのだ。
やりきれない明日をこれからやり過ごす。

 

 

Happy birthday to me!

呪い

今でこそ、自称天才美少女だが、親からの評価は正反対だった。

「馬鹿で不細工で誰にも愛されない社会不適応者」

それが幼少時に母からかけられた呪いの言葉だ。

 

残念ながら、誰もが郷里を愛しているわけではない。

牢獄に留まるよりも、片手一杯の薬を飲み、3時間睡眠でフラフラしながら仕事をする生活の方がはるかに幸せだ。

 

「容姿端麗で知性に溢れた自分は、きちんと社会で生きている」

これが自分で自身にかけた呪いだ。

他人の呪いなど2度と受けない。

褒めがいがなくてすまんな。

 

残念ながら、「誰にも愛されない」に関しては、呪いが解ける気配がない。

おかげで誰かに嫌われる恐怖を味わったことがない。

いつか解き放たれる時が来るのかもしれないが、別にこのままでも良いかな。

 

今、自分はわりと幸せだ。