研究に必要な人材

ここ一ヶ月ほど研究から離れた生活をしている。

考えてみれば学生時代に研究を始めてから初めての経験かもしれない。

無理に始めようと思えば始められるし、

そのための準備はしてあるのだが、

めったに無い機会なので少し離れた生活をしてみるのも良いかなと考えている。

 

大学に入った時点で、医学部に進むか研究をするかという環境だったので、

野心や夢を特に持たずに、気がついたら研究をやっていた。

大学進学の際に医者は自分のメンタルで続けることは不可能だと

踏ん切りをつけたあとだったので、研究者になる以外の道がなかったのだ。

研究者になるなら博士号を取得することが当たり前と、

特に何も考えずに長い間大学にいた。

自分が研究者に向いているかなんて、

実は一度もきちんと考えたことがなかったのかもしれないな。

 

博士号を取得したあとで、

「自分には何もわからない」ということがよくわかった。

一般的に賢い人間に分類される肩書だと思うのだが、

そんなものを得る過程で、自分の中にその賢さを得た感覚は一切なかった。

むしろ自分は無知で無能だとわかっただけだった。

他の博士号取得者がどう考えているのかはわからないが、

私は「なるほど、これが世界か」と感じた。

長い時間と金をかけて、何もわからないということだけがわかる。

すごいことだ。自分はけっこういいものを手に入れたものだ。

 

研究は地道な努力の積み上げだ。

他の全ての物語と同じで、結果が出る保証はどこにもない。

「努力は必ず報われる」なんて言い切っちゃう研究者は少数派だと思う。

「結果を伴わない努力は努力じゃない」と

まるで正論のようなものを振りかざす人を鼻で笑うのが研究者だ。

人間の生存スパンで現在進めている

研究の貢献が認められないことなんてざらにある。

歴史はノーベル賞をもらえないまま死んでいった

偉大な研究者たちの名前を知っている。

我々の研究が、

経済活動や人の命を救うような結果になるかどうかなんて誰にもわからない。

全ては運でしかない。

運による結果論だ。

見通しが立つ研究はすでに誰かがやっているのだ。

 

現在の研究費の予算立ては、将来性を見越して、

選択と集中を目指している。

だが、全ての研究者は研究費こそバラマキが必要な分野だと認識している。

どの研究が成功するかなんて

誰にもわからないギャンブルだという認識が欠けている。

世界中のみんながやっている、

なんかちょっとやればうまくいきそうな分野に集中してお金をかけて、

倍率1.01みたいな賭け方しか許されなくなってしまった。

おそらく、日本の科学は死に絶えるだろう。

 

さて、ここまで考えてみると、自分は研究職には向かないなとわかる。

漠然と自分は大学に残って研究を続けるべき人間ではないと認識していた。

ただ、その理由については長い間言語化できないままモヤモヤとしていた。

自分は情報収集を得意とし、知的好奇心は旺盛な方だ。

論の穴を見つけたり、

組んだりすることも世の中の平均以上にはできると思う。

共同研究者のおかげで論文リストを見ても、

よいジャーナルに名前を残せた。

アカデミアに残るべきと何度か人から勧められたので、

研究能力が人より劣るというわけではなかったのだと思う。

私が求める研究者像に対して、自分が足りなかったのだ。

自分には企業研究の方が向いていた。

 

ここ最近研究を一時中断したせいで、

脳みそのリソースが余りまくっていて、

ぼんやりといろいろなことを考えている。

そうしてようやく自分がどんな研究者像を求めているのかがよくわかった。

私はギャンブラータイプの研究者に憧れているのだ。

そして、それができないから、研究には向かないと考えてしまうのだ。

私は人生を賭けるほどの研究テーマに出会い、

練りだしたアイディアに心を震わせ、

一つのことに時間を忘れて情熱を注ぐことはない。

絶望するほど悲しいことだが、憧れの研究者像に対して、

自分はくだらないつまらない人間だ。

人が作ったものの組み合わせで、

実現可能性がある程度保証されている作業を

すすめるくらいが自分にはちょうどよいのだ。

 

そうは言っても、研究職に向かない自覚はあるが、

しばらく休憩を挟んだところで私は研究に帰っていく。

どんなに向かないとしても研究を愛している。

使えないという判断が下るまでやめるつもりはない。

 

一緒に仕事をしている人の中に、

きちんとギャンブラーは存在する。

自分は賭けごとにむかないが、

彼らを補助することで研究活動は進められる。

天才にはなれなくても、

頑張れば天才に憧れる秀才にはなれるだろう。

つまらない人間として生きることはとてもつらいが、

きっとそういう研究者も必要なんだろう。