科学と神

日本人には当たり前でも、他国民にとっては常識ではないってことは多々ある。

進化論と創造説がまさにそれだ。

アメリカでは進化論を正しいと考えているのは、

国民の40%に過ぎない [Jon D. Miller, Eugenie C., Shinji Okamoto, “Scott Public Acceptance of Evolution,” Science, vol. 313, 2006 Aug 11.]。

未だに創造論こそが唯一絶対の真実と信じてる人がとても多いのだ。

アメリカで大学に通っていた際、生物の授業が宗教論で度々中断したことに驚いた。

多くのアメリカ国民にとって、進化論とは受け入れがたい神に対する冒涜らしい。

 

実際には、進化論はかなり多くの科学的データで多面的に裏付けが行われている。

一方で、創造説をサポートし、

進化論のデータを覆せるデータは、今のところ出てきていない。

にもかかわらず、様々なデータを用いて、

進化論の定説の一部に存在する矛盾を指摘することで、

この論を全否定する人はとても多いのだ。

つまり、進化論を悪と決めつけた科学研究が世界中で数多く行われているということだ。

進化論周りの議論には気を付けたほうが良い。

 

そもそも、そういった「結論ありきの研究発表」は、

事実と考察の間が飛躍していることが多い。

事実と考察と妄想がごちゃまぜになっているのだ。

個人的には、

これらを切り分けられるようになって初めて科学者を名乗ることができると考えている。

サイエンスの世界では、データや数値が自分や他人を簡単にだます。

その妄想が事実である可能性を捨てきることはできないが、

飛躍した妄想をサポートするデータが存在していないのであれば、

その妄想を科学とラベル付けすることはできない。

きちんとSF小説として発表するべきだ。

 

少しの事実が混ざった嘘は本物に見える。

妄想を事実と取り扱うことは、科学という神に対する冒涜だ。