たいしたことない

毎日たいしたことない。
私の人生は本当にたいしたことがない。
日々が淡々とすぎていく。
ただ毎日できることをして、疲れたら寝て。

後悔はしないこと。
でも反省はちゃんとすること。
罪悪感は持たないこと。
でも同情心は忘れないこと。
偽善的にならないこと。
でも自分が困らない程度に親切でいること。

私は極端なので、曖昧が上手くいかない。
私は極端なので、たいしたことのない毎日を送るのが難しい。

躁鬱傾向のある人間は、放っておいてもドラマチックな人生を送ってしまう。
私は私の人生を大ごとにしたくない。
たいしたことのない人生を送ることがこんなにも難しいことだったなんて。

人生が嫌だから他人にどうにかして欲しいなんて馬鹿げているな。
私たちはみんな自分のぶんで精一杯だ。
他人を利用する人に利用されることのなきよう。
いつでも意思を強く持ち、たいしたことのない人生を共に歩みましょ。

運命

旅をしてきました。

そして、自分の運命を決めるのは自分だけだなと思ったのでそのことについて記録しておきます。

 

自分はがっつりACだ。

親の顔色を読みながら生きてきたが故に、他人を観察することに長けている。

人を見ているので、気が利くとよく言われる。

仕事でも他人の要望を汲み取って行動できるという点を大変評価されている。

(それを相手に言うかどうかは別にして)相手がほしい言葉を探すことも苦ではない。

言葉が通じなくてもある程度の意思疎通が可能であり、海外での生活でもそれほど苦労しなかった。

自分の低いコミュニケーション能力を補ってなお余りあるほど、

毒親にACとして叩き込まれた能力をフル活用して生きている。

 

ただ、今回旅に行って、いろいろ語って聞いて考えた結果、

このままではよくないなと気がついた。 

私がいろいろと見えるような気になっているのは、

自分が外側の世界に留まって、実際に起こっている「事件」から距離を置いているからだとようやく気がついたのだ。

 

自分は当事者として世界に存在していない。

私は世界を回していないのだ。

異星人として宇宙に存在していれば、世界は客観的によく見える。

当然のことだ。

シミュレーション屋は本当に自分にピッタリの職だ。

現実世界と向き合う必要性が低い。

私は自分を安全な場所において、世界に参加することを拒んでいたのだ。

今回の旅でよくわかった。

 

わからないことは怖い。

通じないことは恐ろしい。

世界を動かすなんて無理だ。

世界の内側に飛び込むなんて不可能だ。

 

そう思わされていた。

 

かつては間違いなく両親に洗脳されていた。

私には何もできないと思い込まされ、支配された思考だった。

今はどうだろう。

親のせいにするほど若くもない。

自分の限界を決めているのは、自分の運命を決めているのは、間違いなく自分自身だ。

本当に情けない。

 

私は世界の一部になる自信がなかった。

 

私は世界の内側で勝負する。

私が世界を動かす。

大丈夫。

羽が生えているか気にして飛び込まないやつを笑うのが私だ。

言い訳をやめて、責任を引き受けよう。

 

運命なんて自分で決めてやる。

そう思わせるから、やはり指導員氏は神がかっている。

私を世界に引きずり込もうとする。

私を容赦なく前に立たせようとする。

私の不安も躊躇も全く無視して。

 

仕方がないので勉強します。精進します。

ありがたい神様に感謝して、苦難の道に進みます。

きっとそれが幸せな運命。

幸福

長い間病気と戦っていると、自暴自棄になってしまう。

毎日誠実に生きることが馬鹿らしくて、

「どうせ治るわけがない」と不良病人になっていく。

あなたは病気です。

そして、あなたの薬はアルコールと共に摂取してはいけません。

アルコールは睡眠障害を悪化させます。

お願いだから諦めないでくれ。

 

誰に否定されようと、我々には可能性がゼロではないことを信じる自由がある。

そうしないと、何もかもが「無理」になってしまうんだ。

生きるための余白はすぐになくなってしまう。

可能性や自由を広げるための思考を心がけないといけない。

絶望ってやつはいつだって最強で、我々メンヘラなんてすぐに負けてしまうんだ。

私は、自分の可能性を否定して、

がんじがらめで動けなくなる人生はやめようって決めた。

無理やり私が動き回れる場所を作る。

私は私を自由にするよ。

 

”Optimism is our duty”

オプティミズムは義務だ

 

何度でも言いたい。

 

人は放置していれば勝手に悲観して行く。

楽観視は習慣だ。

義務化しないと身につかない。

 

どうか未来を求めて欲しい。

幸せになって欲しい。

私は私が関わった全ての人に対して本気でそう思っている。

私が好きな人も嫌いな人も、みんな幸せになって欲しい。

 

私もあなたも本当にだめな人だけど、そういう駄目な所、きらいじゃないよ。

お願いだから幸せになってくれ。

私の幸せのために、お前ら全員幸せになってくれ。

世界

好きか嫌いか考えると、どちらでもない物が圧倒的に多すぎる。

好きな物に囲まれて生きていきたいので、嫌いな物はもう目に入れない。

嫌いな物を目に入れさせるような交友関係もいらない。

私、とっても独善的だから、嫌いな人と付き合ってる人ごと、私の世界から全部切り捨てるタイプなの。

 

病気であれば許容するが、単に性格が悪い人間を許容する趣味はない。

ダメな人間を甘やかす馬鹿も嫌いだ。

嫌い?

切り捨てて仕舞えば、また、どうでもいいものに戻るからそれでいい。

 

私の世界が汚れてしまった。

中立を装って傷口に塩を塗り込む人は友人ではない。

全部捨てて綺麗に掃除しよう。

誰がいなくても、世界は回る。

私がいなくとも、世界は回る。

世界は本当に美しい。

 

 

裸で自由

「濡れた服を着て歩いている気分だ。」

そう思ったら、まあ、服はいらない。

 

好意も悪意も鬱陶しい。

ただフラットに、なんの執着も持たず、干渉してこない人が好きだ。

そんな人はなかなかいないが、長く続くのはそういう人ばかりだ。

好かれて嬉しいとか、理解してほしいとかそんなんどうでもよくないですか?

承認欲求ってやつがどうも理解できない。

嫌われたら鬱陶しいと思う気持ちと同様に、好かれるのも鬱陶しい。

照れていると勘違いされることが多いのだが、本気でどうでもいいのだ。

私はひとりぼっちの寂しさに耐えた自由を、何よりも愛している。

暇つぶし程度の付き合いしか求めてはいないのかもしれないな。

 

どの世界に身をおいても、監視や干渉が鬱陶しい。

私に興味を持たないでほしい。

地味に無難に何者でもない人間として、無個性に生きていきたい。

勝手に私に影響を受け、勝手に規制をかけられる。

そしてまた私は自由を選ぶのだ。

船はいつも重くなる。

 

憧れも苦手意識も同じものだ。

濡れた服を着るくらいなら、もう全裸でいいや。

インターネット

ネットで知り合ったかつての親友が、

「ネットだろうと、自分が友達だと思った人が友達」

と言っていた。

それまで、「必要なだけの助け舟を出したらさよなら」

くらいの人間関係を繰り返していた自分を捕まえた人だ。

 

残念ながら彼女との縁は切ってしまったが、

他人の中に飛び込んでいける勇気や強さを今でも尊敬している。

彼女のおかげで、自分はずいぶん捕まえやすい人間になった。

 

私は誰のことも捕まえない。

「あ、逃げたな」

そう思うだけだ。

次は陽当たりの良い場所をみつけてね。

ここよりマシな場所がみつからなければ、また戻っておいで。

私はもうしばらくここにいるつもり。

 

ネットは私の世界ではない。

世界のオプションだ。

嫌なものは見なくてもいい。

今日の自分を消して、明日は別人になればいい。

適当な名前を名乗ればいい。

自分はそうやって生きてきた。

 

ネット社会の正解ってなんだろうね。

まあ、普通の社会の正解もわからないね。

陽当りの良い場所をみつけても、勝手に友達だと思っているよ。

 

コートをクリーニングに出しそびれました。

こちらはココアの季節はおしまいです。

きっとすぐに暑くなる。

きっとすぐに日陰を探すね。

祝われるのが苦手

パソコンが壊れてしまったので、あまりブログを書く気になれない。

あとは単純にお仕事が忙しかった。

今月は飲み会もいくつか入っているし、無理しないで頑張る。

 

お祝いの言葉を受け止めるのが苦手だ。

祝われたいポイントが、一般とズレているようだ。

誕生日や卒業や結婚や出産、人生で祝われるタイミングは度々やってくる。

その度に、「特にめでたくもないな」と思う。

 

「これからの一年」「新しい生活」

そんな曖昧な敵を、祝ってやる気になれない。

これから戦う強大な敵を相手に、うんざりしているところだ。

「これまでの一年」「これまでの生活」

なんとか折り合いをつけてきた日々の、達成の印として祝われるのであれば、祝われるのも悪くないなと思う。

 

一方で、人を祝うのは好きだ。

好きな人の努力に対して、

「お前はよくやった」と相手に伝える良い機会だ。

 

つまり、こちらは祝いたいが、特に祝われたくはないのだ。

 

けっきょく、人は祝いたい気持ちを相手に押し付けるだけなんだろう。

それにどう付き合えばよいのかわからないのだ。

せめてプレゼントでも貰えば、金品に対する感謝の心が芽生えるので、何かください。

対して、捻くれ者の私は、曖昧な作り笑顔で「ありがとう」と言うのだろう。

本当に付き合いにくい人間だ。

 

強大な敵を倒す1日がはじまる。

金曜日だから敵は雑魚だ。

消化試合をやり過ごす。

頑張ろう。

常識

世の中には、見えない常識やルールがたくさん存在する。
規則があればそれを取り締まる人間がいる。
正義感に溢れた「常識的な人間」は、とてもルールに厳しい。
明文化されていない法律を振りかざして、集団を淘汰する。
そうやって平和な集団を維持するのが社会だ。

一方、規則を守らない人間は必ず一定数存在する。
身体的・精神的に規則を守ることが困難な人。
選択的に規則を守らない生き方を選ぶ人。
規則の「雰囲気」を一切感知できない人。

元来自分は、見えない社会ルールを一切関知しない人間だった。
一方で、感知していたとしても、やはり規則を守らずに生きてきた。
見えないものを拒絶し、ぼんやりとした束縛を良しとせず、
正論をぶつけて、自分を自由にしてきた。
感情的かつ論理的に屁理屈をこねる、厄介な人間だ。

 

全部自分で選びたい我儘な人間だ。
「普通」や「みんな」を一切信用していなかった。
「多くの人が良しとすることの中には外れが少ない」ということが理解できなかった。
今ではわりと「価格コムや食べログは便利だ」とわかっているから、

かなり社会に適応してきたなと思う。

 

全ての見えないルールをないがしろにして生きてきたからこそ、
逆に誰にも虐げられることがなかったのだろうと思う。
中途半端に一部を拒絶すると、取締班に捕まってしまう。


「どうしてそんなルールが存在するのか」
そんなこと、誰も知らない。
私はそこを突いて、常識がないまま生きてきた。

 

最近「あなたが間違っている」とはっきり言われた。
他人とのいざこざを起こした自分を見た第三者の言葉だ。
自分の言動に共感した上で、この結論に行き着いたようだった。
つまり、彼は「それは駄目なことだ」と他人から言われてきたのだと思う。
私の勝手な想像だが、
「自分が禁止されたルールを破っている私は、
過去の彼と同様に間違っているに違いない」
という理屈なのだろう。

 

ところが私はそんな自分の過ちを正して反省することなく、のうのうと暮らしている。

私は誰かを傷つけたかもしれないが、なんと、誰も殺していないからだ。
自分にとっては、他人から与えられる正義も正誤も無意味だ。
私は犯罪を犯していない。
法的に悪いことをしていない私は、そんなに間違えてはいない。

傷つけた人には悪いが、「ごめんぴょん🐰」くらいの反省しか持ち合わせていない。
私は彼が押し付けたがった常識を見なかったことにした。

 

こういう風に、私は屁理屈をこねて、
自分を動けなくするわけのわからない常識から逃げ、自由に生きてきた。
私は他人と同じことができない人間だ。
だから、人に合わせられないし、そうできる人ってすごいと思う。
自分にとって人に合わせることは無価値だ。

そんな無意味なことを続けられる人って、偉大だと思う。

 

人に合わせることに固執する必要はない。
個々が自分の意見を持つべきだ。
集団に流され、多様性を失った社会は、
我々のような異端者を受け入れてくれないだろう。
受け皿が欲しくてここに来たのなら、
多少のルール違反も大目に見るべきだ。

 

私は誰のこともそれほど嫌いではない。
めんどくさい人はブロックしているが、殆どの人は「普通」だ。
自分の受け皿になってくれる人がいると自覚しているから、
他人のことも完全に拒絶することはない。
意見の押しつけやいじめには賛成しかねるが、
だからといってそれをした人間に憎しみを募らせることもない。
人は弱いから仕方がないと思うだけだ。

 

人に嫌われることが怖くない分、きっと自分は強いのだろう。

幽霊船でワンピースを目指す

ネットでいろんな人をやってきた。

おじいさんをやっていた時はなかなか面白かった。

あまり疑われないと、こちらが困るね。

アイコン絵師をやっていたこともある。

中高生に大人気。

要するに、自分にとってのネットは暇つぶしでしかないのだ。

全力で遊んでいるので、あまり無粋なことはしないでいただきたい。

 

ネットの海を漂流して、たまに変な人を拾う。

陸上生物のくせに、海の真ん中で溺れているバカに会う。

私はそういうバカがとんでもなく好きなんだと思う。

うちの船に乗っていけばいい。

好きな島で降りていいぞ。

船にいても、まあ構わないかな。

重くなりすぎたらきっと自分は船を乗り捨てるけど、拾ってきた奴らだけでも船旅は続けられるからな。

 

こんなワンピースはきっと映画にできない。

大衆向けには生きられない。

海賊王?なにそれ?

人の上に立つ仕事はくたびれそうだな。

 

幽霊船の船長のようなネット活動は日常には「足らない」。

一昨日も、昨日も、特に何もない1日だった。

私は今日も仕事をして、帰宅してご飯を食べて寝る。

そうやって普通に生きているだけだ。

 

最近特になにもないのだが、そういえば暇な時間にラインを送る友達ができた。

よかったなと思います。

それ以外はなにもなかったな。

 

さて仕事しよ。

本人から許可をもらったので友人について書く

名前出すか迷ったので、とりあえずこれで。

自分は医者でもなんでもないので、

その辺の記載についてはあんまごちゃごちゃ言わないでくれるとありがたいです。

 

メンヘラデパート

彼女が抱えているメインの問題は、アスペルガーだ。

二次障害として不眠や過眠などのうつ症状がある。

一方、光トポグラフィーによる脳波がうつ病とは異なるものだったために、

うつ病でもないのにちゃんとできない自分」に苦しんでいる。

(光トポグラフィーはただの診断補助と説明済み)

AC特有の認知や人格の歪みが垣間見える。

メンヘラのデパート状態だ。

 

彼女の起こしたトラブルに対して、自分が考えたことを書こうと思う。

 

無自覚と自覚

メンヘラデパートの彼女は、人とぶつかり、様々な問題を起こした。

それら一つ一つを書き出し、

「彼女はどうすべきだったのか」

「何がいけなかったのか」

について一緒に考えた。

人のせいにすることなく、一般論に落とし込めるように。

どんなトラブルだったかは大して重要ではない。

彼女の未来の為には、「今からどうするか」の方がよほど大切だと考えたのだ。

 

その結果、彼女の様々な問題が見えてきた。

端的にいうと、彼女は多角的に物事を見ることができないのだ。

一例として、「自分がしんどいときに他人が忙しい可能性」や

「自分が嫌いな人を他人が好きな可能性」を想像できない。

その結果、「常識がない」と他人を怒らせてしまう。

注意されればちゃんと理解できるのだが、それを彼女が知る時には、

もう手遅れなくらい相手は激怒している。

典型的なアスペルガーの症状だった。

 

問題を書き下すことで、彼女は無意識に避けていた自分の障害に直面した。

 

呪いと自己嫌悪

つらい作業だったと思うが、彼女は病識を持った。

しばらく彼女は様々な人を呪った。

そのことで更に人と揉め事を起こし、次に、酷い自己嫌悪に陥った。

コンプレックス死寸前だったと思う。

 

逃亡と迷惑

同時期に彼女は全ての責任を放り投げて、逃亡した。

ちなみに、私は逃亡をすすめた。

 

逃げることの何が悪いんだろう。

自分も病んでいたときはよくドタキャンしていた。

リスカや自殺未遂経験者だってたくさんいる。

会社や学校をやめるのだって逃亡だ。

たかが約束の一つや二つ、逃げたって別にいいじゃないか。

彼女の逃亡を責められるのは、逃げたことのない人だけだ。

他人に迷惑をかけたことのない人だけだ。

人は迷惑な生き物だし、メンヘラは特に迷惑だ。

そんなこと百も承知で友だちになったからな。

 

悪と正義

その結果、他人から彼女へのヘイトは増大した。

抱えていた仕事や約束を放り投げ、逃げ出した迷惑な女として、

ツイキャスツイッターで多人数に叩かれた。

徒党を組んで一人の人間の愚痴を随分言っていた。

悪口大会で仲良くなっていく人たちを遠巻きに眺めながら、

「社会って怖いな」と思った。

 

それがイジメだと自覚していた人は一人もいなかっただろう。

彼らにとって、彼らは正義だった。

「イジメられる人間にも問題がある」

それは否定できない。

彼女は確かに甘ったれで、人に依存した、非常識な人だった。

 

一方で、彼女は悪でもない。

彼女は他人どころか自分すら殺していない。

盗みや詐欺もしていない。

 

「イジメられる人間にも問題がある」

それは人をいじめていい理由にはならない。

 

自分と他人

メンヘラは自分と他人の境界線を引くのが下手だ。

彼女もそうだったが、彼女が迷惑をかけた相手も下手だった。

だから彼女は一線を越えて甘えすぎてしまったし、

彼らは一線を越えて叩きすぎてしまった。

 

私にも嫌いな人がいる。

私は性格がとても悪いので、他人の悪口を言うことも多い。

一方で、そこに便乗して一緒になって叩く無関係な人とは仲良くしたくないなと思う。

自分の意志で人を嫌ってくれ。

 

直接被害を被った数人は、確かに彼女を嫌う権利がある。

そうじゃない人は黙って見ていればいい。

 

人間関係は自分で選べる。

彼女は受け入れてくれる人と付き合わなかった責任があるし、

彼女と付き合わないという選択をしなかった彼らにも責任がある。

つまり、概ね自己責任だ。

それでおしまーい!!!!!!!

「嫌い」までは理解できるが、

「嫌いだから叩く」ということが全く理解できない。

 

私は私、あなたはあなた

私は私が好きな人としか付き合う気がない。

そして、その人に何かされて傷ついたとしても、

仲間を巻き込んで相手を叩くようなことはないだろう。

見る目がなかっただけだと、時間を書けて、頑張って納得する。

 

人は人、自分は自分だ。

精神的にもう少し自立しようね。